天才と呼ばれた若者たちの末路
絶賛炎上中のぼくのりりっくのぼうよみを見ていて、
これ数年経って自分で見返したら死にたくなるんだろうなあ…って思った。
ぼくのりりっくのぼうよみ、通称ぼくりりは現在20歳。
高校在学中にメジャーデビューしたラッパー。
最近ニュースZEROで「ぼくのりりっくのぼうよみを、天才を辞める」と引退発表した。
実際出てきたときは、どこもかしこも天才天才と記事出しまくってたイメージ。
例に漏れずわたしも、1st アルバムの「hollow world」は2015年最も聴いたアルバムといっていいほどヘビロテしていた。
彼はアーティスト活動だけでなく、文學界や伊藤計劃トリビュートへのエッセイ寄稿や、Web上で展開するメディア「Noah's Ark」を立ち上げるためにクラウドファンディングで資金を集め、"10人のやってる人たち”への対談を敢行するなど、活動は多岐に渡った。
天才と言われた所以はそんなところにもあったんじゃないだろうか。
慶応大生だし、やってることにしてもインタビューの文面にしても、かしこいんだろうな〜っていう。
なんか色々考えてやってる感。
前にもどっかで書いた気がするけど、ライブハウスでライブやってCD売り続けてるバンドマン見てるとセンスないなあって思うんですよ。
もうそんなんで発掘してもらうのなんか、宝くじ当てるより難しいよ。
結局今売れてるやつって、セルフプロデュースがうまかったやつでしかない。
米津玄師を見たまへ。あいみょんを見たまへ。
因みに私はこんだけ音楽漬けの日々を送っているけれど、CDプレイヤーは愚か、自宅PCも手放したのでCD買ってもCD聞かないです。
手元に置いておくだけ。曲は別途データでってパターンが多い。
(例えば、菅田くんのアルバム買ったけど、歌詞カードだけ見て曲はApplemusicで聴いてます)
音楽に比較的興味のない一般層なんかまさにそのパターンでしょ。
Spotifyでしか音楽聴いてないでしょ。
ちょっとズレたけど、ぼくりりはCDの遺影を抱えたアートワークを始め、
セルフプロデュース力にすごく長けた新時代のアーティストだったことは間違いないと思う。
引退理由は、結局天才という周りからの評価に押しつぶされてしまったってことなんだろうけど、もう10代でデビューする若者に天才というコピーをつけて売り出すのやめません?
最近だと崎山蒼志くんがそうですね。
中学三年生(今は高校生)でオリジナル曲300曲の怪物。
聞けばわかるけど彼の世界観は既に完成しているし、年齢も考えると天才って言いたくなるのわかるんだけど。
天才を背負わせるのやめようよ。
因みに10代デビューの天才はもう一人いる。
DAOKOちゃんです。
若干16歳にしてデビューしたダウナー系女性ラッパー。
彼女も出てきた当初は天才天才言われてたイメージ。
それに加えて、顔を隠してのデビューだったし、明らかに可愛いのが口元だけでもわかるから、その点でもちやほやされていた。
高校卒業くらいのタイミングって女の子が一番可愛いタイミングだし、自己顕示欲MAX期でもあるから、そこから顔出しでの活動をスタートさせました。
で、今これ。
ラップ、どこいった?
原型が一つもない。
いや、元々の音楽スタイルを貫け!ってことは全然言いたくないんだ。
音楽作ってるのは人だし、人は変わるし。
でも、この今まで評価されてきたポイントを全て無にしていく感じ、どーよ?
間違いなく今のDAOKOは天才とはかけ離れている。
かけ離れてしまった。
これからどうなるかわからないアーティストを、天才と評することで一旦は売れるのかもしれない。
そのコピーに惹かれる人間も一定数いるのかもしれない。
でも、それによってファンを、アーティストを、苦しめることもある。と思う。
全然違うかもしれないけど、何年に何人の美少女みたいなコピーも同じ。
あのコピーによって!数年経って劣化だとか言われてしまう。
ずーっと変わりなく良いクオリティのものを輩出し続けて初めて天才だ。
出てきてすぐの人たちが冠するにはあまりにも重い称号だと思う。
もう、若い人達に、デビューしたての若い才能に、天才と称して消費するのやめませんか?