萌ゆる目々

あれこれざっくばらん

ものづくりいろいろ

先日26歳になりました。

ハッピバースデートゥーミー。

 

最近は仕事が割と穏やかで、徹夜続きになることもなく、ゆったりと出社し、よく寝て、終電前に帰る生活を送っている。

ここ2作品ほどは本当にやる気が出ず、心はほとんど無の状態で、プロデューサーに多大なる迷惑をかけた。

仕事、やめたい。とだけ思っていた。

 

そもそも今の仕事につくと決めた時から一生続けられるなんて思っていなかったのだ。

というか、3年続くとすら思っていなかった。

学生の頃から、同じところ、同じ人間関係の中で生活することがひたすらに苦手だったわたしが、同じ会社に居続けられるなんて到底思えなかった。

 

一番短い学生生活の区切りは3年だが、わたしはその3年すら持ったことがない。

どこかしらでだらだらと休んで、なんとか卒業。

そうしてやり過ごしてきた。

 

中学2年の文化祭の日、家のベッドの中にいた。

学校に行けと親に言われる度、キリキリと胃が痛んだ。

嫌だった理由はたくさんあったけれど、どれも大したことじゃなかったと思う。

気づいた時には胃潰瘍寸前だと言われ、学校を2週間ばかり休むことにした。

 

高校生活は全体的に休みがち。

部活の時間以外は図書館にいたり、漫画喫茶にいたり。

気づいた頃には遅刻・欠席の合算が年間100日以上になっていて呼び出された。

担任は泣いていた。

年間の授業日数は210日ほどだったので、半分は行っていなかったことになるから当然と言えば当然だ。

 

アルバイトも通算8個はやったと思うので、それなりに転々としていた。

無断欠勤、バックレも多かった。

 

大学も単位ギリギリだったのは出席の悪さによるものだ。

 

だから、今の会社で勤め始めて3年目というのは奇跡としか言いようがない。

休みもせず、よくここまで続けたなと思う。

嫌になるのに明確な理由なんてない。

朝起きたら、ものすごく気が重くて、ものすごく行きたくなくて、大抵お腹が痛くて、吐き気が止まらなくなる。

それは突然のことで、自分ではコントロールできない。

理由もわかるようなわからないような。

学生の時からそうだったし、1社目のときもそうだ。

そして、ここ半年もそうだった。

 

最近のわたしは、”作る"という行為に辟易していた。

0から1にするということが元来苦手だと気づいていた。

蓋をしていた。

認めたくなかった。

でも、そろそろごまかしがきかなくなってきていた。

何者かになるにはものづくりしかないと思っていた。

特別ななにかになりたかった。

それは今でもそう。

でも、多分わたしは平凡な人間なのだ。

特別なんかじゃないのだ。

それならば、結婚相手をみつけて、誰かの、ただ一人の特別になるのが良いのではないか。

 

スタッフに怒られまくり、それをなんとかしたくて徹夜が続く。

でも、それは当然のものとして処理される。

眠い。ただでさえない集中力が本気で持たない。

だからまた怒られる。苦痛しかなかった。

仕事だから仕方がない。では、納得できないところまで来ていた。

 

母に「やめたい」と電話した。

このままでは身体を壊すか、心が壊れるかのどちらかだと思うと。

そして、それでもいいからやりたいというモチベーションももうないと。

 

母の答えは意外なもので、「やめてもいいけど、仕事以外のところでものづくりを一度すること。純粋に作るということに向き合うこと。それでも楽しさが見い出せなければやめればいい。」と言われた。

ちなみに父は早くやめて、結婚相手を探せと言っていた。

それも意外だった。

 

ということで、映画を作ろうという話になった。

仕事なんか全く関係のないところで、ものをつくる。

なんだか停滞しているけれど、これをやらねば、やりきらねば今後の人生が決まってこない。

 

来月、地獄のような部署に異動が決まった。

なにか、答えがほしい。