スキもキライも
いくつもブログを始めては潰してきたブログクラッシャーわたしです。
この度わたしが愛してやまない漫画、小説、アニメ、音楽などの作品感想をざっくばらんに綴るべく、ブログ”萌ゆる目々”開設です。
一発目なので、このブログを書くにあたってのスタンスについて語ります。
――「わたしが愛してやまない」と前述したが、このブログではスキなものもキライなものも一緒くたにして書いていこうと思っている――
ファンと呼ばれる人の中には、好きなアーティストに対し信心深い人もいて、どんな作品を発表しても、「このアーティストなんだから最高。そうに決まっている」と全ての作品を絶賛する人もいる。
好きになればなるほど、全てが素晴らしく感じていく感覚はとてもよくわかる。
曲を通じて、あるいはインタビューなどで人間性に触れて、平均点以下の容姿のバンドマンがものすごくかっこよく見えたり、冷静に考えたらただただ痛々しいだけの言葉が独特な世界観に生きているように聞こえてかっこよく感じたり、ファンだからこそ妄信的になる感覚はわたしにもある。
けれど、本は作者読み、アニメは出演者(声優)で選び、音楽はそのバンドと親交の深いバンドを数珠つなぎで聞く、という”人で探すタイプ”のわたしでも「このアーティストはめちゃくちゃ好き。だけどぶっちゃけこの作品は合わなかった」と思うことが多々あるのだ。
2001年4月号ROCKIN'ONJAPAN.。
わたしが初めて買った音楽雑誌。
この号の目玉は浜崎あゆみ4万字インタビューだった。
浜崎あゆみの熱狂的ファンでもなんでもないし、いかんせん10年以上前の記事なので、ぼんやりとしか記憶に残っていないが、唯一覚えているのは"曲の作品性が本当に良いと感じられて評価されているのか、それとも浜崎あゆみだから良いと妄信しているファンで溢れているから売れているのか、途中からわからなくなった”みたいなコメントである。
浜崎あゆみといえば、曲だけでなくファッションでも一世を風靡した言わずとしれたトップスター。
出す曲出す曲ヒットしていたし、モノスゴイ数の妄信的なファンもいただろう。
駄作でも金をおとしてくれる妄信的なファンは、ビジネス的にはありがたいし、スターにとって必要不可欠な存在であることは確かだが、前述のコメントはそこからのモチベーション低下の話へと繋がっていった。
これは浜崎あゆみが、人気基盤を築いた初期は他者からの楽曲提供を受け、その後自分で歌詞を書くようになったということも関わっているのだろうが、妄信的なファンは作り手としては必ずしも嬉しいものではない、ということだと思う。
何を発表しても絶賛されるとわかりきった中で新しいものを生み出すなんてツマラナイに決まっているのだ。
だからこそ、わたしは妄信的にどっぷり素晴らしい感覚に浸ることはしつつ、妄信的に全てを絶賛することはしないでおこうと思う。
合わないものは合わないと、ツマラナイと感じたらツマラナイと、書こうと思う。
一ファンとして愛をもって、絶賛も批判もしようと思うのだ。
というわけで、萌ゆる目々スタートです。